こんにちは!
勇氣プレゼンター×音楽家のあつもり(→プロフィール)です。
- 学校の勉強は社会に出てから役に立つのか?
- 役に立たないのなら学校に行く意味なんてあるの?
- 家でオンラインスクールを使えば学校に通わなくていいんじゃない?
こんな風に、学校に行くことをの意味を考えてしまうことがあると思います。
「なぜ学校に行くのか?」
こんな疑問を、僕も学生のときに考えたことがあります。でも満足するような答えは見つからず、
- みんなが行ってるから
- 高校は卒業していないと就職できないから
そんな理由で自分を納得させていたことを覚えています。
今回は、僕が今までの人生を振り返って、学校は行く意味があったのかどうか?
ということをお伝えしていきます。
この記事を読んで、学校へ行く意味がわからなくなった人の心が軽くなればいいなと思っています。
今回の内容を、YouTubeの動画でもお話してます。
勉強は社会に出て役に立ったのか?
はじめに、僕の人生を振り返ってみて、学校に行く意味があったのかどうか?をお話します。
僕の人生を簡単に振り返えるとこんな感じでした。
↓
大学には行かず音楽の専門学校へ入学
↓
専門学校を中退
↓
ファーストフード店に就職
↓
店長までやったが退職
↓
看板製作会社へ転職し、POPのデザインやデータ作成を行う
↓
会社が倒産し、親会社(プリンタ販売会社)に引き取られる
↓
POP制作の仕事で、全国のイオンの新店立ち上げに関わる
↓
システム開発課に転部する
↓
19年務めた会社を退職
↓
完全リモートワークのシステム会社に転職
↓
システム会社を退職
↓
ネット事業で独立
ファーストフード店では店長として、売上管理やアルバイトの育成などをやりました。
看板製作会社では、イラストレーター、フォトショップなどのソフトを使って、POPのデザインをやったり、エクセルのデータ入力業務をやりました。
プリンタ販売会社では、エクセルやアクセスを使って業務効率化プログラムを作ったり、SQLサーバーのメンテナンス業務などをやりました。
サラリーマン時代最後のシステム開発会社では、アクセスを使って業務システムを構築しました。
では、この社会人経験の中で、学校の勉強は役に立ったのか?
学校の勉強が直接役に立ったことは、たぶん1つや2つ程度なのではないかな?と思います。
売上計算などで、算数はよく使いますが、計算はパソコンや電卓を使えばできるし、漢字の読み書きなども、パソコンできます。
学校で習った知識がなければ業務ができない、ということなかったと思います。むしろ、職場で初めて習う事のほうが圧倒的に多い。
なので、学校の勉強で得た知識そのものは、社会に出て役に立つかと言われれば、あまり役に立たないと言っても良いのではないかと思います。
もちろん、僕の人生の中での話なので、他の業種や職種で必要になることはあるし、専門的な知識を学校で学んだのであれば、それは役に立つこともあると思います。
ただそれも、やはり現場で習う事のほうが圧倒的に多いし、そのほうが習得しやすいことは確かだと思います。
学校に行くのは人生の選択肢を増やすため
では、
「学校に行く意味はないのか?」
と聞かれたら、
「行く意味はあるし行ったほうが良い」
と僕は答えます。
確かに、学校の勉強で学んだ知識は、社会に出てからそれほど役に立ちません。
でも、学校の勉強や学校生活の中での体験がとっても大事なんです。
授業中や休み時間などで味わった体験は、自分のやりたいことが見つかったりするきっかけになるから。
そして体験すればするほど、人生の選択肢が広がっていくんです。
例えば、社会の時間に、世界の名所を習った。
班ごとに好きな名所を選んで、詳しく発表することになった。
発表したら、クラスのみんなが大きな拍手をしてくれた。
先生も物凄く褒めてくれた。
「みんなの前で発表するって氣分いいな」
「緊張したけど褒めてもらえて嬉しい」
「こういう仕事があったらやってみたいな。」
こんな風な氣持ちになるかもしれない。
あるいは、
「世界の名所って素敵だな。将来海外に住みたいな」
ってことになるかもしれない。
このような氣持ちになるのは、みんなの前で発表したという体験があったからです。
体験は一人で家にいては味わえない。学校という場所で、クラスメイトや先生という人と触れ合って、初めて体験できる。
そして、と人との触れ合いの中からしか生まれない感情というのがある。喜びもあるだろうし、悲しみもある。
そのような生の感情を持つことで、あれやってみたいな、これやってみたいな、という好奇心が生まれる。
そのことが、人生の選択肢がどんどん増えていくことなる。
これが学校へ行く一番の意味だと思います。
プロのサッカー選手になりたい。
という夢を持っている人がいるかもしれない。
その夢も、学校の休み時間にやったサッカーで、すごく活躍して、好きな女の子が褒めてくれたことがきっかけだったりするかもしれない。
ポジティブな出来事だけじゃない、ネガティブなことがきかっけで、それが生きる力になったりする。
メンタリストDaigoさんの話。
Daigoさんは、小中学生時代にずっといじめを受けていた。
ある日、母親のことを馬鹿にされ、とっさにナタを投げた。
「あいつを怒らせたらヤバイ」
ってことになって、いじめがなくなったそう。
その事件のあとDiagoさんは、今までの自分の全て逆をやればいいんじゃないか、
って思ったらしい。
見た目が地味なのを派手に、勉強ができないをできるに。
そうやって自分を変えていったら、周りの見る目もどんどん変わっていった。
自分が行動すれば周りは変わるってことに氣づいた。
こんな風に、もともとネガティブな出来事でさえ、その体験がきっかけで、生きる力や勇氣になったりする。
こんなこともあるかもしれない。
学校の先生が、ひとりぼっちだった私に優しく声をかけてくれた。その声がジワーッと心に染みた。
そのことがきっかけで、
「学校の先生になろう」
と思うかもしれない。
いろんな体験をしていけば、いろんな感情が生まれる。
いろんな感情が生まれると人生の選択肢がどんどん増える。
その中からやりたいことを決めればいい。
そのための学校なのではと思います。
学校の勉強は家でもできる。体験は学校じゃないとできない
のです。
勉強はオンラインスクールなどを使えば、家でやることもできる。
でも、人と人とがその場で一緒に喜んだり、悲しんだり、笑ったり、喧嘩したり、そういった体験は、家ではできません。
さいごに
「学校に行く意味ってあるの?」
とあまり深く考えずに、
「どうやったら楽しく学校生活が送れるか?」
を考える。
そうして学校生活を楽しく過ごしていると、なんか楽しそう、やってみたいってことが見つかる。
それを突き詰めてやってみてもいいし、やってみて詰まらなくなったらやめてしまえばいい。
そうやって色々チャレンジして、自分に合ったものを探していけばいい。
別に見つからなければ、それはそれでいい。あとでいくらでも探せるんだから。
「学校とは宝探しゲームのようなもの」
そう思えば学校がもっと楽しくなっていくから。
最後までお読みいただきありがとうございました!