近眼であると確定した時点でその枠から抜け出せなくなる

こんにちは!あつもりです。

病名を告げられたら病氣は治りにくい、という話を聞いたことがありますか?

自分がその病気であると信じてしまうと、その病気の枠に自分を当てはめてしまい、その枠から抜け出せなくなりやすいからです。

近眼も同じだと僕は思っています。

「最近なんだか景色がぼやける」

「遠くの文字が読みづらくなった」

そんな風に感じて眼科に行ったとします。

そこで、お医者さんから、

「近視が進行してますね。メガネをかけたほうがよいでしょう」

そう言われたとします。

その言葉を聞いて、

「私って近眼なんだ」

と信じるわけです。

今までの常識では、近眼は日に日に進行する、近眼は治らない、メガネをしないと視力低下のスピードは速くなる、などと言われていました。

そのような常識を信じていればその枠に自分の体をあてはめようとします。

実際は目が乾いていたり、体の他の部分の不調が原因で、一時的に見え方が悪いだけかもしれなかったのに、

「この前より見え方が悪くなってる」

「やっぱり近眼は進行するんだ」

「もっと視力が下がる前にメガネ屋に行こう」

と近眼であることを正当化してしまう。

さらに、「視力は元に戻らない」と信じていれば、視力回復はありえないとなります。

そうあると、視力回復の可能性を探すこともないし、例えそういう情報があっても目にも耳にも入りにくくなります。まあ、あたりまえのことですが。

つまり、近眼であると確定させた時点で、視力は下がっていくし、この先、視力は回復しないという事を確定させたということなのです。

きっかけはお医者さんの言葉であっても、それを信じて、最終的に近眼であると確定させたのは自分自身です。

そのことは潜在意識に落とし込まれます。

潜在意識は信じていることを実現しようとします。つまり、視力は日に日に下がっていくし、回復もしないという体を作り続けるということです。

プラシーボ効果というのを知っていますか?

不眠症で全然眠れなかった人が、お医者さんへ行きました。

「不眠症にとても効果がある薬です。これを飲めば今晩から眠れますよ」

そう言われ薬を処方されました。

その夜、薬を飲んだらお医者さんの言った通りぐっすり眠れました。

でもじつはこの薬、薬としての効果はまったくない、ただの白い粉だったのです。

これは、お医者さんから聴いた言葉を自分自身が信じたからです。

潜在意識は自分が心から信じたことを実現しようとします。

だから不眠症が治ったのです。

つまり最終的に症状や体を治すのは自分自身だということなのです。

結論を急がない

じゃあ近眼のような症状が出た場合どうすればいいのか?

結論を急がずにゆっくりと様子を見ればいいんです。

見え方が悪くなると不安になるのはわかります。僕もそうでしたから。

そして不安になると、その症状が何なのか、なんでその症状が起こっているのか原因が知りたくなります。

そうすると、病院に行く、メガネ屋に行くなど、結論を急いでしまいがちになります。

そういう僕も、視力が悪くなったときは、病院に行きました。そして当然のようにメガネをすすめられました。そしてその後25年の間メガネを手放せない生活を送りました。

そのことに後悔はありません。なぜなら、その体験があったから、このようにブログでその話を書くことができたし、視力回復コンサルをやったりYoutubeで発信したり、視力回復メソッドをリリースすることができたからです。

ただもしあなたが、今時点で、メガネをかけるか迷っている状態であれば、もう少し様子を見てみたらどうかとアドバイスします。

誰もが好んでメガネをかけたいとは思わないでしょうから。ファッションで身に付けるのは別としてね。

すこし見え方が悪くなったとしても、そういうときもあるのかな?一時的な体の不調化もしれない。と捉え、結論を急がない。

視力が下がっていても、メガネをかけない選択肢もあります。黒板が見えずらいのなら、前の席に移動させてもらえばいい。パソコンの文字が見えずらいなら顔を近づければいい。

会議でホワイトボードが見えないなら、前の席に座れるように早めに会議室に向かえばいい。

「今は見え方が悪いけどそんな時もあるだろう。そのうちよくなるさ」

そうやって現状を受け入れ、楽観的に捉えていると、自然と良い方向に向かっていくことが多いのです。

もちろん、

「メガネをかけないと不便でしかたがない。勉強や仕事に支障が出る。だからメガネをかけたい」

そう思ったのなら、それはそれでよいと思います。

ただ、それほど不便を感じていないけれど、目が悪くなるという不安でメガネをかけるのか、それとも、不便でどうしようもないからかけるのか、これは大きな違いです。

ネットで調べて不安のループにはまる

僕はサラリーマンだったころ、のぼせやめまいなどに悩んでる時期がありました。世間で言われる自律神経失調症のような症状です。

数か月の間、症状がひどくなったり軽くなったりを繰り返していました。

今振り返るとその時、気持ちに余裕がなくて、考える過ぎることが多かったんだと思います。

会社の倒産、転職、株で大金を失う、やりたくない仕事を無理してやってる、そんなことが重なり、色々考えすぎて、頭も心もいっぱいいっぱいだったのだと思います。

ただ、そのころは潜在意識やプラシーボ効果のことなど知らなかったので、何か体に問題があるのではないかととても不安になりました。

その不安を解消しようと、ネットでいろいろ調べました。

「のぼせ」「めまい」「原因不明」などの検索ワードをグーグルに入力して。

すると、同じような症状が出てきて、それはどうやら自律神経失調症というらしい、ということがわかりました。

「あっこれだ。同じ症状だ」

「自律神経失調症だったんだ」

と自分を納得させます。するとちょっと安心するんです。

でもここからがやっかいなところで、自律神経失調症を確定させてしまうと、その枠にあてはめてしまうのです。

自律神経失調症だと、めまいやのぼせのほかに、動悸や息切れ耳鳴りなどの症状も紹介されています。

すると、今度は動悸が起こったり、耳鳴りが気になり始めたり、今までなかった症状が出てくるようになりました。

こうなると、また不安になり、その不安を解消しようと、またネットで調べ始める。

自律神経失調症を治す方法はないかとか。しばらくの間、このループを繰り返してました。

ところがあるとき、

「もうどうにでもなれ」

と開き直ったら、少しずつ良くなっていきました。

今思えば、はじめに症状が出た時に、

「嫌な出来事が重なったから一時的に調子が悪いんだな」

「まあ仕方ない。そのうちよくなるさ」

と症状を受け入れ、あまり氣にしなければ、自然によくなったと思います。

確定させなければそうならない道も選べる

このように、症状を「これだ」という病名で確定させてしまうと、その症状を自ら作り出してしまうことがあります。

一時的に起こっているかもしれないのに、それをわざわざ確定させて大きくしている。そうしているのは自分自身の心なのです。

でもそうだとわかれば、そうならない道を選ぶことができます。

自律神経失調症で言えば、めまいなどの症状が起こる度に、

「なんでだろう、早く治れ」

と焦るのではなく、

「今は心の余裕がないから仕方ない。そのうち余裕が出てくれば症状もよくなる」

そういうふうにしてその症状は仕方がないと受け入れる。

近視だったら、

「見えずらくなったのは、一時的なものかもしれない」

「メガネをかけないでもうしばらく様子をみよう」

「今焦って結論を急がなくてもいい」

そうやって少し距離をとってみるのをおすすめします。

もうすでに近眼を確定させて、メガネ生活から抜け出せない。そんな人でも、近眼という枠から抜け出すことはいつだってできます。

近眼は治らないという思い込みを外すことができれば、潜在意識を使って視力回復する可能性があります。

大事なのは自分はどうしたいか?何を信じるか?

結局、最終的に体を治すのは自分自身の自然治癒力なんですから。

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