人生の主役であり監督であるのは自分自身

こんにちは!あつもりです。

友人の話。

息子の試合を見に行きたかったけど、その日は家の用事を優先させた。

息子がシューズを忘れた。息子から連絡があり、シューズを持ってきてほしい言う。

仕方なく家の用事は諦めて、シューズを届けた。

ついでだから試合を観戦することにした。

シューズを忘れた息子は試合には出してもらえない。

息子より実力がない選手が試合に出ている。落胆する息子。

ちょっとくらい出してくれてもいいのに、という憤り。

せっかく来たのにという思いと、辛そうな息子を見たくないという思い。

イライラが大きくなり、気分転換に公園に行く。

ベンチに座ろうとしたとき、何か文字が書いてあることに気づく。

「天地を尽くして天命を待つ」

と書いてある。

「今の私にピッタリの言葉だ」

「イライラしても仕方ない」

そう思った。

試合会場に戻る。

すると、最後の最後で息子が試合に出してもらえる。

親が来ているから仕方なく出してやる、という理由で。

これ実際に友人に起こった話。

これを聴いて思った。

結果的に全て自分の望み通りになったんだな、と。

シューズを忘れたこと。

届けなければいけないということ。

試合に出してもらえないということ。

これらを部分的に見れば嫌な出来事なんだろう。そのことだけ見ればイライラしてネガティブになってしまうのは仕方ないかもしれない。

でもすべて繋がっていて、最終的には望み通りになった。

試合を見に行きたい、という望み。

ということは全てをひっくるめれば、良いことだったというじゃないかな。

だからその瞬間だけ見てネガティブに捉えないほうがいいし、起こる状況に振り回されないで、流れに任せたほうが上手く。

この友人も、イライラしたときに、公園に行って、仕方ないとその状況を受け入れた。

だから試合に出してもらえるという出来事が起こった。

ネガティブを受け入れたからポジティブに流れたってこと。

こういうことって結構ある。

結果オーライってやつ。

その場その場でイライラすると辛くなる。だったら結果オーライになることを信じて、起こることに流れていった方が人生もっとラクで楽しくなる。

この話でもう一つ僕が伝えたいこと。

それは他人ではなく自分だということ。

息子自身があの状況を受け入れたから試合に出れた、ということじゃないってこと。

だって自分が見ている現実なんだから。

息子が試合に出れないことでネガティブになっているのは誰か?

それは自分自身。

だから自分自身を変えなければネガティブな現実は変わらない。

こういう話を前に本で読んだことがある。

息子が学校でいじめられている。

親は子供のことを可哀そうに思う。

「なんで息子がいじめられなきゃいけないの?」

「この先、息子の人生はどうなっちゃうんだろう?」

と人生を恨む。

カウンセラーに相談すると、

「今子供のことで不安に感じていることを全部紙に書き出しなさい」

というアドバイスを受ける。

紙に書き出すと不思議と不安が軽くなる。

冷静に自分に心と向き合えるからだろう。

そして必要以上に自分自身が息子のことを不安に思っていたことに気づく。

「もっと息子のことを信じよう、息子の人生を信じよう。」

そう思うようになる。

すると、何日か後に、いじめっ子の一人と和解したという話を聞く。

どんどん状況がよくなり、いじめはなくなる。

こんな感じの話だったかな。

これって息子が変わったわけじゃなくて、自分自身が変わったから、自分の見ている現実が変わったってこと。

大事なのは他人じゃなくて自分がどう感じているか?ってこと。

自分の見ている人生の主役であり、監督であるのは自分なんだから。

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