こんにちは!あつもりです。
「人それぞれ見えている世界が違う」
なぜなら、個人の意識が現実を作っているから。
不安に意識を向けていれば、不安なことばかりが起こる現実が作られる。
これは、波の状態の量子が不安という意識によって、粒(物質)になり、それが目の前の現実として現れるから。
これが量子論で言われていること。
さらに言えば、その人の目の前のにある現実は
「その人が信じていること」
ですよね。
私はツイいない、いつも良くない事ばかり起こる、なんてことを信じていると、その通りの現実が目の前に現れる。
ここで疑問というか違和感を感じたことがある。
「量子論を信じていない人、または全く知らない人はどうんなんだろう?」
って。
そういう人たちが見ている世界は、量子論が存在しない世界なんじゃないかって。
本などで量子論のことを読むと、量子論が存在することが前提で書かれている。
量子論ありきなので、量子論で言われていることは、その通りになる。それはその通りだと思う。
でも実は、量子論のことを知った時点で、量子論がある世界が展開されるんじゃないだろうか?
量子論を知らない人は、ずっと古典物理学が展開しているかもしれない。
古典物理学とは、人間の意識があろうがなかろうが、地球は回るし、月は存在する。
人間と自然はそれぞれが分離して存在しているというもの。
量子論では幸せを意識していれば、幸せな現実が現れる確率が高まる。でも、これは量子論を知っている人だけに起こる現象かもしれない。
量子論を知らない人の世界では、幸せを意識しても、幸せな現実が現れないかもしれない。
僕は量子論のことを知り、量子論に興味を持った。そして意識の向け方を変えたらどんどん現実が変わっていった。
量子論に興味を持ってから、量子論のニュースなどを耳にするようになった。
量子論で言われている現象が、ミクロの世界だけではなく、マクロの世界、つまり現実の世界でも確認されてきている。
映画「君の名は」で描かれたパラレルワールドなんかもそう。どんどん一般的に認知されてきている。
将来的には人間の意識で物質が作り出せるかもしれない。何もないところからワインやパンを出したり。
でもこの量子論が一般的に認知されて、身近なものになってきているという現実は、僕が見ている世界だからなのではないだろうか?
それこそパラレルワールドの中から、量子論を信じた世界が現れているんじゃないだろうか。
量子論を信じていない世界は、そもそも量子論が存在しないんじゃないか。
ぼやーっとした感じでまとまらないのだけど、この世界は量子論ありきではなく、もっと大元に何かがあるように思う。
それが人間の意識なのか、宇宙の意識なのか、わからないけど。
僕が知らないだけで、そのことについて書かれた本があるかもしれない。
なんとなく、なんだか、違和感を感じたので書いてみました。
まあ、どちらにしても、量子論とか宇宙の意識とか、そういうのを考えるのは楽しい。
そういうものの中に生きているって考えると、自分は無力ではなく、何でもできる存在なんだって実感できるから。
今日も、最後までお読みいただきありがとうございました!